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だいだいの栽培の始まり
藩政時代末期の萩は、尊皇攘夷に活躍した志士でいろどられている。吉田松陰のことはあまりにも有名であり、その盟友・門弟たちはペリーの来航以降、国事に奔走してついに我が国に新時代をもたらすさきがけとなったことは良く知られている。しかし、萩住民の生活という点から見ればそれは、きわめて冷厳なものをもたらした。まず高杉・木戸ら藩の尊王攘夷派の主唱により1863年に毛利敬親は萩から山口に移った。藩主が萩にいては攘夷の実現に都合が悪いという理由であった。これで萩は260年来の藩府の地位を奪われ、多数の侍たちが山口に移り人口は激減し主として藩主と侍の消費により成立っていた萩の経済は大打撃を受けた。その中でだいだいの栽植を唱導し、自らも率先植えたのは元萩藩士小幡高政である。新政府の官職につき各地の要職を歴任したが1876年、母看病のため小倉県権令(知事)の職を辞し萩に帰った。彼が萩でみたものは、同族たちの失意、あるいは憤懣やるかたない人々の姿であった。そうして彼らに共通している憂慮は、これからどうして食っていくかということであった。また侍の人口激減により住む人なく空洞化された屋敷をみた。彼は廃屋同然となった広大な萩の土地に生気を取り戻すには、その広大な土地を利用すべきで、またそのためにだいだいを栽植したのは1877年からであった。


『だいだい』(夏みかん)の原樹
正しく和名で呼べば『ナツダイダイ』萩では橙(だいだい)、または夏橙(なつだいだい)と称していたが、商品名として夏みかんとなった。だいだいの原産地が何処であるか明確ではないが、萩のだいだいは山口県長門市仙崎大日比(青海島)に『だいだい原樹』といわれるものがあり1927年(昭和2)に国から天然記念物に指定されている。また付近には、だいだい古木が数本ある。
大日比には浄土宗の名刹西円寺があり、古くより萩から侍や町人がしばし参拝していた。萩へ最初に夏みかん実や苗をもたらしたのは、これら参詣人たちが中心であったと考えられる。


ポン酢の語源・由来
ポン酢の語源は、オランダ語で柑橘類の果汁を意味する「pons(ポンス)」で、「ポンス」が変化し「ス」に「酢」が当てられ「ポン酢」となった。そのため、ポン酢の「ポン」だけに意味があるわけではなく、「ポンカン」の「ポン」とも語源は異なる。
オランダ語の「ポンス」は、ヒンディー語で5つを意味する「panc」に由来する。
近世より、「ポンス」は5種類のものを混ぜ合わせたという意味から、ブランデーやラム酒にレモン汁や砂糖などを加えて作った飲み物を意味するようになった。この飲み物がレモン汁に関係することから、ポン酢は柑橘類の果汁を意味するようになった。


本だいだい酢の特徴
皮を取って搾汁するため香りも程よくまた、外皮に含まれる渋みも少ない為、上品で素材本来の持ち味を引き立たせます。
古来より橙は山口県下関にあがる、無味無臭高級魚の『ふく』と一緒に全国市場に送られ大いに食通の人達の舌をうならせておりました。よって橙は最初の果汁ポン酢と言われるところです(現在では醤油で合わせた味付ポン酢をポン酢と言う事が多い)。
弊社では、本だいだい酢は調味料として素材の持ち味を生かす酢として、一年中変わらぬ味に調整しながら最高級酢として調理人の皆様にお届けしています。
酢橙は5月に花が咲き、正月頃より橙色に色づき始めます。その実は落下しにくく枝に残った玉は翌年の初夏から再び青い実に戻るので「回青橙」の名があります。


弊社の『本だいだい酢』と橙酢の違い
文献によると萩で『だいだい』が経済栽培され始められたのは1876年(明治9年)の頃であり、当初は橙(だいだい)と称されていましたが酢橙(すだいだい)と区別するために夏橙という呼び名も(旧暦の夏になると食べられるだいだい)あったようです。その後1885年(明治18年)頃から大阪での販売上の方便として夏みかんと言うようになったようです。弊社では、酢橙を本だいだい酢の商品名とし、夏橙(学問的正式名称)を橙酢の商品名として販売しています。

     
     
     
   
 
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